COVID-19  マスクはユニフォームじゃない!!

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話すときにマスクを外す~なぜ非常識な行動を取ってしまうのか

マスクをする目的は、自分の身を守るためではなく、他人に感染を広げないため。しかし普段はマスクをしているのに、肝心な会話のときにマスクを外してしまう人がいます。僕は「マスクをするのは相手に失礼という感覚が抜けきらないのだろう」という社交至上主義が根底にあるように感じています。

日本も欧州も常識になったマスク、しかし…
11月某日、兵庫県のとある中学校で生徒20人に新型コロナ感染が確認されたというニュースがありました。この学校では全校生徒参加の合唱コンクールが体育館で開かれ、集団感染が起きたクラスの生徒はほとんどがマスクをせずに歌っていたということです。
マスクをする目的は、自分の身を守るためではなく、他人に感染を広げないため。しかし普段はマスクをしているのに、肝心な会話のときにマスクを外してしまう人がいます。
現在、日本でも海外でも「マスクを着用すること」は常識です。それなのに「普段は当たり前のようにマスクをする習慣のある人」がなぜよりによって飛沫が飛ぶ「合唱」や「会話」、「くしゃみ」などの際にマスクを外してしまうのでしょうか。今回はそんな不思議な現象について考えてみたいと思います。

今年の春先にはマスクというものに懐疑的だったWHO=世界保健機構も現在は180度方向転換をし、ヨーロッパ各地でのロックダウンについて「もしもマスク着用率が95%になれば外出制限は必要なくなる」としており、ヨーロッパの人々にマスクの着用を徹底するよう呼びかけています。

ドイツなどではマスクの着用が義務づけられている一方で、ヨーロッパ全体でみると着用率が60%以下であり、全員がマスクをするようになるまで、まだまだ課題が多いようです。
コロナ禍になる前からマスクを着用する人が多かった日本とは違い、コロナ禍の前のヨーロッパにおいては「マスクを着用すること」は異様なこと、不審なこととして扱われています。そんなところにもマスク着用がなかなか定着しない理由があるように思います。

会話が盛り上がるとつい外してしまう人々

それはさておき、欧州でも日本でも「マスクをしているのに、飛沫が飛びそうな場面に限ってマスクを外す人」が目立ちます。たとえば日本の国会中継を見ていると、椅子に座って黙っている人がマスクをしているのに、立って話している人がマスクを外している姿を時折見かけます。
先日、友達夫婦と友人カップルの計4人とZoomで話した時。
友人夫婦だけではなく友達カップルもいるということで、「3密」を心配していましたが、僕がさらに驚いたのは、会話が盛り上がると4人ともマスクを外したことでした。
全員がマスクを外すのを見て僕は画面の前で思わず「えっ?」という表情になっていたのでしょう。4人は口をそろえて「大丈夫、大丈夫。私たちはいつもはちゃんと気をつけているから」と言っていました。
「盛り上がったときにマスクを外すなんて全然気をつけてないじゃないか!」とツッコミたいところですが、思い当たる人もいるのではないでしょうか。
全体的にはやはり日本人のほうが「マスク慣れ」している気はします。たとえば友達と外で待ち合わせるとき、公共交通機関を使わずに徒歩で向かうことも多いのですが、人があまりいない道を歩くときはマスクをずらして息苦しさを回避しながら歩くことがあり、そして待ち合わせ場所で友達を見つけると同時にきちんとマスクをするのですが、マスクをする僕を見て相手(日本人)がホッとするのが分かるのです。

抜けきらない「マスクをするのは相手に失礼」という感覚

僕がマスクを着用するのを見てホッとした顔をするのは主に日本人で、相手が外国人の場合はもっと複雑です。
何カ月か前、僕は例によって人通りの少ない道をマスクをずらしたりしながら歩いていましたが、知り合いの外国人男性にバッタリ会ってしまいました。雑談が始まりそうだったので、僕がきちんとマスクをしたら、「え?」という感じの妙な顔をされました。
「マスクをしないで歩いていたのに、僕と会った瞬間にマスクをつけるなんて、僕を感染者だと思っているの?」と言いたげな表情でしたが、そうではないんです。雑談をすると笑ったり声が大きくなったりするので、マスクの着用は相手ではなく僕の飛沫が飛ぶことを心配してのことでした。
最近は「人と話すときこそマスクをする」人に対する訝しげな視線は少なくなってきているものの、「マスクは顔が見られないから残念」という感覚は今も外国人のほうが日本人よりも強いと思います。
つまりそこには「相手がマスクをしないで顔を見せてくれているのに、自分がマスクで顔の下半分を隠し表情が見えないようにしてしまうのは相手に対して失礼」という感覚が、外国人の方がより強いということなのかなと感じます。

単なる「ユニフォーム」に成り下がったマスク

コロナ禍によってマスクを着用するのが「常識」にはなったものの、依然「機能」についてはあまり真剣にとらえられていないことも。たとえば電車や人混みなど、人に見られている場ではみんな当たり前にようにマスクをしています。
ところがよく見ていると、普段しゃべらないときはずっとマスクをしているのに、
「人に話しかけられた途端にマスクを外す人」「国会中継のように自分がしゃべる場面になるとマスクを外す人」、そしてこれもビックリなのですが、「自分がくしゃみをするときにマスクを『ずらす』人」もいます!
そもそもマスクは「飛沫が飛ばないため」という要素も強いはずなのに、一番飛沫が飛びそうなタイミングでマスクを外すのは……周りの人からすると意味が分かりません。

ただこれなどまさに「マスク」というものが「服を着る」というのと同じようなレベルに成り下がっているともいえます。「服を着る」のは常識であると同時に、着ていないと逮捕されてしまいます。
本当に服が体を暑さや寒さから守るためだけのものであるならば、5月など穏やかな気候の日は裸で歩いたほうが気持ちよさそうなものです。しかし常識や法律はそれを許しません。

マスクに関してもこれに近づきつつあるように感じます。マスクは「とりあえず着用」するのが普通であり、着用しない場合は周りの人と揉めそうです。そんな理由からマスクを着用はしているけれど、本来の機能はなんだか忘れられていることが少なくありません。
マスクが「ユニフォーム化」してしまい「とりあえずつけてさえいればいい」とばかりに、鼻が出ている「鼻マスク」やマスクを顎の下に下げてしまう「顎マスク」もよくみられます。

他国のマスク反対のデモ…背景にある「社交至上主義」

ロックダウン状態の他国の都市では今もなおマスクに反対する人がデモで声を上げています。11月28日にもベルリンを始めドイツ各地でデモが行われました。

コロナ禍以前のドイツでは「マスクを着用すること」イコール「異様」だと見なされていたため、その感覚が今も抜けない人がいます。一方で、ドイツのほうが日本よりも「マスクを着用しない人に対して厳しい」のです。

ドイツではマスク着用が法律で義務づけられているため、公共交通機関でマスクを着用しない場合、州によっては、150ユーロ(約1万9000円)の罰金が科せられます。外食の際に席を立ちトイレに行くとき、うっかりマスクをし忘れると罰金刑に課せられることもあるそうです。

あれだけマスクを否定的に考える人が多いのに法律が厳しいとは矛盾しているようですが、「だからこそ」厳しく取り締まらないと、さらに感染が拡大してしまいます。

外国で定期的に行われているデモでは「政府は自由と人権を守れ」などの主張がされていますが、これは「外出できず人と会うこともできずストレスがたまっている人の心の叫び」とも取れます。

日本と違うと感じるのは、「社交は絶対的に良いことだ」という「社交至上主義」が根底にあることです。長年その感覚で生きてきたため、新型コロナウイルスの登場によって「人と交流することに制限をかけられること」や「マスクの着用が義務づけられること」に対する拒否感が強いのではないかと思います。

居心地の良さを取り戻すためのマスクであるはず

たしかにマスクをつけたまま他人と話すことは「社交的」だとはいえないかもしれません。欧州・欧米では「自分の表情を相手に見せて情報開示をすること」「相手の表情が見えること」「ハグなど物理的な距離の近さ」も重要視されてきたので、これらを全部「不可能」としてしまう「新型コロナウイルスにまつわる規制」について、心から納得がいかずいら立っている人が多いと思います。
「マスクをつけながら人と会っても楽しめない」という声はよく聞くのです。自分がマスクを着用することで自分自身の感染を防止するだけではなく、相手の感染も防ぐことができることは今ようやく共有されつつあるものの、「マスクを着用している」状態はやはり多くの人にとって「居心地の悪さ」とつながっています。
外国人の一部の人は「マスクが体質に合わない」という医師の診断書を
提出している人もいるようですが、マスクをせずに怒りに任せて声を
荒らげ飛沫を撒き散らしているのを見ると、コロナの収束はまだまだ先になりそうだと思ってしまいます。

まとめ

僕自身もマスク着用に戸惑いを感じる場面はあります。
たとえば人と会う際、もともと互いの顔を知っていれば双方がマスクを着用していても違和感はないのですが、問題は初対面です。仕事などで初めて人と会う際に互いがマスクをしていると、相手の顔が覚えられないなんてこともあります。
目元だけを見て顔を記憶できる人もいるのでしょうが、僕は初対面の相手がマスクをしていると、次回会っても全く分かりません。

「マスクをしなければいけないから、やらなくなった」ものもあります。以前はカラオケで思いっきり歌ってストレス解消をしていましたが、コロナ禍の今はマスクを着用したまま歌わなくてはなりません。でもこれでは「自由に思いっきり歌う」ことは難しく、カラオケにはあまり行かなくなってしまいましたね。

コロナ禍により、「当たり前の日常」が失われたのは確かです。
ある日の早朝、誰もいない道で10カ月ぶりぐらいにマスクをせずに深呼吸してみましたが、「ああ気持ちよかった」と思ってしまいました。
こんな風に、当たり前にやっていたことが、またできる日がくることを
願って止みません。